平成12年くんち

平成12年くんち・西濱町


龍船・本踊り「御祭礼囃子川面賑(まつりばやしかわものにぎわい)」

 西濱町は長崎の港に面した海岸に開かれた町です。もとは濱町として栄えていましたが、寛文十二年(1672)東西の二町に分けられました。

 傘鉾は同町内の素封家雪屋森氏が一手で奉納していましたが、現在は森家より町に寄贈されています。飾(だし)の製作は文化二年(1805)と箱書にある古いもので、港町に因んで貝合わせを入れる箱「貝桶」が二つに、秋らしい紅葉、白菊が配されています。貝桶には源氏物語の絵が描かれています。輪には町名が漢字とローマ字で印されています。垂(たれ)には中国姑蘇十八景が描かれ、長崎刺繍によって装飾されています。こちらの製作は文久二年(1862)。この垂は前日用のもので、後日には三社紋の入った別の垂と差し変わります。
 でもってこちらが後日用の垂。こちらもシンプルながら気品があっていいです。輪にローマ字で入った「Nishihamanomati」の文字も見えるでしょうか。なんとも雅やかな傘鉾です。

 龍船はその昔、安南国の王女が長崎の貿易商・荒木宗太郎のもとに嫁いで来くる際の行列が大変豪華であったという様子を表現したものです。この嫁入りについては昨年度のくんちレポートにも書きましたが、姫イチオシの白石一郎先生の短編「朱印船の花嫁」(文春文庫「切腹」収録)に詳しいです。
 まず龍船の屋根が両脇にパタンと開き、舞台が登場します。この上で踊る踊り子さんが安南国からの使いを表しているそうです。この使いの方の踊りが終わると、龍船の前で日本の娘を表す別な踊り子さんによる歓迎の踊りがあります。日本の娘さんの衣装の柄は歌舞伎「俊寛」に出てくる浜娘の衣装にも使われている「蛸」の柄と同じでした。これはその衣装を身につけている人が浜の近くで暮らしている事を暗示するものです。

 個人的な意見ですが、安南国と日本の娘の対比が曖昧でした。安南国の方の衣装をもうちょっと異国風にしたほうが雰囲気がより伝わると思います。


 なかなか良い写真がなくてなんですが…(右のものは庭先回り中のもの)。踊りが終わるといよいよ龍船の船まわしがはじまります。この船にはブレーキとハンドルがついていて、それぞれを専門に担当する二人の方が船に乗っています。この船はくんち参加船中でも最大の大きさを誇るもので、ぐるんぐるん回るとかなりの迫力です。側にいると、自分の頭の上を龍の首が横切っていくような感覚です。

 後から気付いたのですが、龍船が回った時、たてがみが飛んできてとなりに座っていた家人の服にくっついていました。それほどの勢いでもって回るんです。
 でもってこちらが今年から龍船に搭載された新兵器。口から煙を「シャーッ」と吐きます。なかなかやる気です。

 根曳きさん達の波模様の衣装も奇麗でしょう。黄色の帯とのコントラストもいいです。青と黄色の組み合わせって、好きです。


平成12年くんち 表紙へ

長崎雑記帳