くんち


くんちとは
 くんちは毎年10月7・8・9日に行われる長崎の諏訪神社の大祭です。寛永11年(1634)、当時はまだ丸山にあった諏訪神社が創建当時の古い社殿・拝殿を改築した際、神輿・神具を新調し、ポルトガル人・唐人さんにも目につく港(大波止)に御旅所(神輿を一時運んで安置する所)を定めました。9月7日に遊女高尾・音羽が神前に謡曲小舞を奉納し、午後に神輿が御旅所に渡御。8日が大祭で、御旅所に湯立神事が執行され、9日に神輿は還御されました。この時の流れがくんちの手順として踏襲されました。


諏訪神社
 長崎の人は諏訪神社を「お諏訪さん」と呼んで親しんでいます。肥前唐津の金重院青木賢清という修験者が元和2年(1616)長崎へやって来て、キリシタンの横行を嘆き、神道再興のために里民が隠し祭っていた諏訪大神のために西山郷丸山に工を起こしましたが、キリシタンの勢力が強かったため、なにかと苦労を重ねて寛永2年(1625)にようやく小社殿を完成させました。この時、諏訪・森崎・住吉の三社が相殿合祀されました。そのため、諏訪神社の御祭神は次のとおりです。
◎諏訪大神(健御名方命・八坂刀売命)
◎森崎大神(伊邪那岐命・伊邪那美命)
◎住吉大神(上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命)
それぞれの紋は梶の葉・三つ巴・三蓋松で、これを「三社紋」と呼び、くんちに使用される祭具の装飾にもよく使われています。


くんちの語源
 もとは菊の節句の9月9日、同じ数字がふたつ並ぶめでたい(中国の思想らしいです)日の「くにち」が「くんち」になったのが語源であるという説が有力です。


踊り町
 その年の奉納踊りの当番に当たる町の事です。7年に一度巡ってきます。組み合わせは昔から町の統廃合が行われたり、更に新たに踊り町参加を希望する町も加えられたりなど、度々変化してきました。現在踊り町として出演している町にも、町名変更ですでにもうない町名もありますが、そのもともとの町があった場所にある現在の町の方々が担当されています。7年周期の町の組み合わせは決まっていますが、年によっては、町の都合などで出演されないところもあります。また、祭りの花形として、龍踊などが当番に関係なく特別出演することもあるようです。


年番町・神輿守町
 年番町とは、くんちの神事のお手伝いをしたり、「お下り」の神輿行列に参加する町です。踊り町に指定されている町が踊り町の当番の年から4年目に奉仕します。
 神輿守町とは、「お下り」「お上り」の際に神輿を担ぐ仕事を担当する町です。踊り町とは別に、踊り町に指定されている長崎市の中心部の町をとりまく外側の町で構成されており、6年一巡で奉仕します。


くんちの流れ
 10月7日朝、まず諏訪神社で奉納踊りがあります。各踊り町があらかじめ決められた順番で登場し、奉納します。その後順番に移動し、他の各桟敷で披露されます。それが済むと、各踊り町は町中の商店などの店先や玄関先で踊りを披露して回ります(これを「庭先回り」といいます)。諏訪神社では、午後1時より神輿が御旅所へ渡御する「お下り」があります。8日には2ヵ所で踊りの披露があり、その後「庭先回り」があります。9日にも2ヵ所での奉納の後、「庭先回り」。神輿は午後1時に御旅所を出発し、諏訪神社へ還御されます。これが「お上り」です。各踊り町は暗くなるまで「庭先回り」をし、完全燃焼して夜、各町へ戻ります。
 定められた各桟敷とスケジュールは以下のとおりです。時間はその年その年で、踊り町の数などにより多少変ります。
7日:諏訪神社(午前7時)、公会堂前(8時)、御旅所(9時頃)、諏訪神社(午後4時)、公会堂前(5時)
8日:八坂神社(午前7時)、公会堂前(同8時頃)
9日:御旅所(午前8時)、諏訪神社(同9時頃)


庭先回り
 踊り町の出し物が市内の各家や商店、会社銀行官公庁等に敬意を表して踊りを呈上し、お祝い申し上げるという趣旨のものです。それぞれ短い踊りやお囃子を準備し、各店先や玄関先で披露して回り、「御花」を集めるのです。「御花」は披露に対するお礼・ご祝儀の事です。その場では現金などは渡さず、花の紙(緑のあばれのしの上に赤く「花」と書かれた紙。文房具店などで売られます)に宛名と送り主の住所指名を書いたものを渡します。送り主は後でお金の入ったのし袋を踊り町の町事務所などへ届けたり、町の方が集金にみえた際に渡したりするのだそうです。


傘鉾
 傘鉾は踊り町のシンボルです。

  

 写真を見ていただくとだいたいの構造がお分かりかと思いますが、上に乗っているものが飾(だし)で、町や出し物に所縁のものが飾られています。飾の下にぐるっとまるく縁取りをしているものが輪(わ)です。これは飾に因んだ素材が使われています。丸輪・しめ縄・蛇篭の3種類があります。丸輪は竹篭を黒繻子やビロードで包んだもの。しめ縄はたけ篭にわらを張り付け、しめ縄に見せているもので、飾が神社に所縁のものである場合、セットになっています。蛇篭は竹篭の上には何も張らず、中に張りボテの小石を詰めたもので、飾が水に関係するものである場合に用いられます。輪の下に下がっているものが垂(たれ)です。これも飾に因んだものが描かれたり、諏訪神社の三社紋が描かれています。金糸銀糸を使った立体的で豪華な長崎刺繍がほどこされたものもあります。上に乗った飾や輪の重さとバランスをとるため、真ん中の心棒の足元には一文銭が2千500枚〜3千枚ほどゆわえつけられています。
 今に残る古い絵などによると、江戸時代の傘鉾は今よりずっと小さかったようですが、現在の傘鉾はとても大きくて重く、130kg以上の重さがあります。傘鉾は屈強の男性がひとりで担ぎます。何人かの交代要員が常に一緒に行動します。傘鉾を担いでいる方は中から前方が見えないので、傘鉾頭領が足元に示す旗を目印に動きます。また、町によって傘鉾の歩き方や回り方には流儀があり、個性を比べて観るのも楽しいものです。


奉納踊りの手順
 町によって手順は多少違いますが、おおまかな流れとしてとらえてください。まずはじめに傘鉾がシャギリとともに登場します。シャギリとはお囃子の事で、笛や太鼓を鳴らして傘鉾の登場を告げます。傘鉾が一歩一歩動く度、鈴の音がチリンチリンと鳴ります。その音とシャギリが聞こえると、くんち馬鹿(くんち好き好き人間の事)の血は一気に騒ぐのです。傘鉾は町に所縁の飾などを広く観客に見せるため、踊り馬場を大きく巡ったり、くるくると回ってみせたりします。
 メインの出し物が登場する前に、先曳きがあります。その町にお住まいのお子さん達が出し物に因んだ衣装を来て、正装のお母さん(おばあちゃん、お父さん等の場合もあり)に手をひかれて行列して登場し、賑やかな雰囲気を演出します。
 その後がいよいよ主役の登場になります。演者が全員揃ったところで礼をして、客席に「まきもの」をします。礼をする時に自分の頭からはずした手拭いや、懐にあらかじめ結んで用意しておいた手拭いを投げるのです。この時はお客さんも必死。なりふりかまわずまきものの争奪戦です。手拭いの他にも、その町の出し物に因んだものを投げる場合もあります。龍踊りの篭町は月餅、川船の麹屋町は紅白のかまぼこもまいていました。
 まきものも済んで客席が落ち着いたところで奉納踊りがはじまります。ひととおり終わっても、本踊りの場合は「所望踊り」として何曲かのアンコールがあります。その中にはたいてい「長崎ぶらぶら節」が入ります。客席から「ショモーヤレ」がかかれば、もっと続きます。曳きもの(船、鯨)に「モッテコイ」がかかった場合、引き返して来てさらに船などを回してみせます。途中、勇ましく片肌を脱いでみせ、男気を示す演出もあります。担ぎもの(お神輿スタイルのもの)も同じように引き返してアンコールに答えますが、片肌に脱ぐかわりに羽織っていた半被を一斉に宙に放り上げます。これがまたカッコいいんだな…。龍踊りのアンコールも「モッテコイ」。人気者ですからなかなか帰してはもらえません。


くんちの掛け声
 くんち見物の観客の掛け声にはきまり事があります。傘鉾の鈴の音がチリンチリンと聞こえてもなかなか登場しない時など、「早く来い」という願いを込めて「モッテコーイ モッテコイ」と声を掛けます。踊りが終了して曳ものや龍、担ぎものが踊り馬場から出ていってしまった時のアンコールでも「モッテコーイ モッテコイ」です。本踊りの場合は「所望するからもう一つやれ」という意味の「ショモーヤレ」を掛けます。他に傘鉾が回る時に「大きく回れ」という意味の「フトーマワレ」という掛け声もあります。また、出し物が見事な場合、感激の「ブラボー」は「ヨイヤァ」です。意味は「良いぞ!」といったところです。


長崎雑記帳